概要

項目内容
一般名(よみかた)太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)
別称男体山古墳
九合村69号墳
史跡指定等と名称 天神山古墳(昭和16年1月27日指定)

 

所在地

項目内容
所在地群馬県太田市内ヶ島町
駐車場あり(墳丘南側の線路沿い・大型バス駐車可)
現況ナチュラル墳・目塚天満宮
登頂可能
トイレなし
飲料水自販機目塚1号墳跡にセブンイレブンあり

 

諸元

項目内容論拠
形状前方後円墳現地説明板
墳丘長210m
周溝含めて364m
現地説明板
築造時期5世紀中頃現地説明板
段築後円部3段・前方部3段
表飾葺石(河原石)・円筒埴輪(Ⅲ式)、水鳥形埴輪、家形埴輪、器材形埴輪
造出現状では不明だが、存在した可能性あり
周堀馬蹄形 2重 内側は水堀 外堤なし 
陪塚A陪冢が残る(B陪冢は消滅)
主体部後円部に1基、それ以外は不明
調査履歴平成2年、5年、8年、9年、20年
出土遺物が見られる場所太田市立新田荘資料館

 

主体部

項目内容
長持形石棺 槨は不明以前は一部分が露出していた
出土遺物不明

 

説明板

 

解説

 太田天神山古墳は、5世紀中頃に築造された墳丘長210mを誇る東日本最大の前方後円墳です。稲用調べでは、全国大きさランキングは27位タイ。

 後円部の径は120mで高さは16.8m、前方部の幅は126mで高さは12m。

 

 太田天神山古墳の南側の東武線沿いには駐車場があり、大型バスも停められるようになっています。私は過去に20度訪れたことがありますが、このようにたくさんの車が停まっていることがありました。随分と人気のある古墳だと思いましたが、墳丘に登っても誰もいなかった・・・

手前の車は稲用の当時の愛車「雷電號」(マツダ・デミオ)

 

 私の場合、案内するルートはいつも決まっていて、駐車場で車から降りたら、天神山の全景を眺めた後、目塚1号墳跡、女体山古墳、A陪冢と歩き、天神山の後円部の周堀部分に至ります。

 

 現在円い形状で道になっている部分が中堤があった場所です。

 そこから県道2号線に出て横断歩道を反対側に渡ると、周堀の広さが実感できます。周堀は二重で、この部分は内堀。

 

 内堀は水堀だった可能性が高いです。また、左右のくびれ部分に造出があった可能性があり、水鳥形埴輪が見つかっていることからこの頃の畿内の古墳と同じく、造出で「水辺の祭祀」が行われていた可能性があります。

 周堀を含めた全長は364mに及びます。

 県道2号線によって、後円部の墳端はわずかに削られています。

 道路の傍には国史跡の標柱が建っています。

 こちら側から墳丘にとりつくと後円部を登らないといけないのでちょっと大変ですが、古墳が「山」であることを実感できます。場所によっては葺石がたくさん露出しているところも見られます。

 段築は後円部・前方部共に3段築成。

 後円部を登りきると所々が陥没しているのが分かります。後円部の埋葬施設はすでに盗掘を受けています。

 後円部墳頂から前方部側を眺めると変な形をしていますが、現在細尾根のようになっている部分が往時の墳頂で、向かって左側の目塚天満宮がある場所はかなり削られています。 

 

 こちらの地図を見ると、削られてしまった現在の地形が良く分かるでしょう。

『群馬県古墳総覧』(群馬県教育委員会/編)より転載

 

 主体部は未調査ですが、以前は長持形石棺(在地の緑色凝灰質砂岩製)の一部が地表面に露出していたといいます。長持形石棺は大王や貴族・地方の有力者が使用できた最高級の棺で関東では稀少なものです。群馬県では、伊勢崎市の御富士山古墳のものも知られており、御富士山古墳の場合は後円部墳頂に実物が置かれています。関東地方では他に千葉県香取市の三ノ分目大塚山古墳でも使用されていました。

 通常、畿内の長持形石棺は、兵庫県高砂市で産出する竜山石を使用しますが、太田天神山古墳と御富士山古墳の場合は、在地の石材を使用しています。ただし、設計技法は畿内のものと一緒なので、畿内から専門の石工が下向してきて造ったことが確実です。なお、長持形石棺は全国で40例ほど見つかっています。

 墳丘上を歩きながら見渡すと、この古墳の巨大さが実感できます。

 前方部も場所によってボコボコになっていますが、地元の方から聴いたところによると空襲でやられたとのこと。また、昔の近所の子供は、親から古墳へは行ってはいけないと言われたそうです。なぜならば、昔は変質者が出現したからです。

 ちなみに、現代の古墳マニアの中には、異様に古墳めぐりに執着する「偏執者」が存在します。

 

 

 

 

 200mを越える前方後円墳は、他には奈良・大阪・京都・岡山にしかなく、しかも5世紀前半という時期に限れば、全国で5本の指に入る規模です。その当時、この古墳に葬られた人物は相当な力を持っていたことが分かりますが、被葬者は一体何者なのでしょうか。

 太田天神山古墳の巨大さから関東地方を統べていた「東国の王」の墓であると考える人もいますが、東国という広い範囲ではなく、毛野地域(群馬県と栃木県西部)を治めていた王の墓と考えることは可能です。ただし、旧来からの在地の人物ではなく、長持形石棺の使用や、日本書紀に彦挟嶋や御諸別の東国下向の話があることから、私はヤマトから下向してきた王族であると考えています。

 また、「倭の五王」の「済」は、451年に宋の文帝から、もとの安東将軍倭国王(のちに安東大将軍倭国王)に加え「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号され、その後、倭の 23人の人物が将軍号や郡太守号を与えられています。

 倭王済がどの天皇に該当するかは置いておいても、もしかすると太田天神山古墳の被葬者も中国宋王朝から将軍の位を拝領した人物かもしれません。

 ちなみに、上述した東日本というのは、福井県・滋賀県・三重県のラインより東側のことを指しますが、その3県にはもっと大きい古墳があるのではないかと思う方のために、以下に当該県の最大の古墳を示します。

 ・福井県最大の古墳は、140mの六呂瀬山1号墳(坂井市)
 ・滋賀県最大の古墳は、136mの瓢箪山古墳(近江八幡市)
 ・三重県最大の古墳は、190mの御墓山古墳(上野市)

 

出土遺物

 写真無し

 

参考文献

名称編著者発行年
『古墳時代 東国の地域経営』若狭徹/著2021年
『ぐんま 古墳探訪』群馬県/編2018年
『群馬の古墳物語(上巻)』右島和夫/著2018年
『群馬県古墳総覧』群馬県教育委員会/編2017年
『季刊考古学・別冊17 古墳時代 毛野の実像』右島和夫・若狭徹・内山敏行/編2011年
「太田市の古墳」太田市教育委員会/編2010年
「国指定史跡 天神山古墳・国指定史跡 女体山古墳パンフレット」太田市教育委員会/編
『東国の古代氏族』関口功一/著2007年

 

本サイト内の関連ページ

全国古墳ランキング

長持形石棺あれこれ

 

探訪履歴

2015年11月4日
2017年4月2日
2017年4月8日 クラブツーリズムにて案内
2017年5月4日 東国を歩く会にて案内
2017年12月9日 クラブツーリズムにて案内
2018年7月21日 クラブツーリズムにて案内
2018年8月21日 クラブツーリズムにて案内
2018年12月9日 クラブツーリズムにて案内
2019年5月29日 クラブツーリズムにて案内
2019年6月2日 クラブツーリズムにて案内
2019年11月17日 クラブツーリズムにて案内
2020年1月12日 クラブツーリズムにて案内
2020年3月1日 クラブツーリズムにて案内
2020年9月26日 クラブツーリズムにて案内
2020年10月17日 クラブツーリズムにて案内
2020年11月7日 クラブツーリズムにて案内
2020年11月29日 クラブツーリズムにて案内
2020年12月12日 クラブツーリズムにて案内
2022年11月19日 AICTにて案内
2026年2月23日 AICTにて案内

※余談ですが、2016年4月にクラブツーリズムと契約した後、なかなか自分が企画したバスツアーが催行にならなかったところ、太田天神山古墳と岩宿遺跡を組み合わせたツアーを造ったらいきなり大型バス満席となりました。のちにTVでも放映されたツアーです。そういう意味でも太田天神山古墳は「自分史」における記念すべき古墳です。